- 2021年4月24日 星期六 年月
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- 由高村武幸教授主編的《周縁領域からみた秦漢帝國》一書2017年9月由東京六一書房出版。該書是第40届三菱財團人文科學研究資助項目“周縁領域からみた秦漢帝國の総合的研究”(髙村武幸主持)成果,是以項目組成員2013、2014年兩度在中國考察研究爲中心的論文集。承高村先生慨允,謹以是書封面、前言、目次、執筆者一覽揭載于茲,以饗同道。
前 言
本書『周縁領域からみた秦漢帝国』は、第四〇回三菱財団人文科学研究助成に採択された研究課題「周縁領域からみた秦漢帝国の総合的研究」(代表研究者・髙村武幸)の遂行にあたって実施した、二〇一三年・二〇一四年の二度の海外遺跡実見に参加した研究者を中心とする論文集である。
我々は、秦・漢帝国(前三世紀末~後三世紀初)の周縁領域の存在と変遷が帝国に与えた影響と、秦・漢帝国に組み込まれたことによる周縁領域自体の変容を総合的に解明する端緒をつかむという大目的を共有しつつ、参加者それぞれの問題関心に即した「周縁領域」の研究を実施してきた。また遺跡実見においては漢代県城遺跡とされる遺跡を中心に実見し、漢代遺跡または漢代創建のものを後世に修築したものと考えられるかどうか、併せて遺跡周辺の状況を同時に観察し、周縁地域としての各遺跡の立地条件を考察することに意を尽くしてきた。特に、簡牘史料出土遺跡以外の遺跡を多く実見してきたことについては、成果が大きかったと自負している。本書はそれらの活動のひとまずの中間報告という位置付けとなる。
収録論考は全八編であり、それぞれ内容・時期の緩やかな関連性を軸として三部編成とした。
第一部「秦の周縁領域」は戦国末から統一期の秦を対象とした論考二編からなる。渡邉論文は、戦国末の秦の「邦」の境界を挟んだ人の帰属について、「邦」概念や「帰義」「降」の解釈を踏まえながら探ったものである。拡大する領域の周縁部でどのような統治が行なわれ、人々の把握がなされていたか、それは秦の自他認識を問いかけることにもつながろう。目黒論文は里耶秦簡を主要史料として、秦の洞庭郡遷陵県における官府による廟祭祀の検討を行なう。国家によって主催される公の祭祀は、地域的にも歴史的にも秦の周縁領域そのものである遷陵県においても貫徹され、「中心」であろうと「周縁」であろうとひとしなみに扱われねばならない場面が確かに存在した事実を例示する。
第二部「漢代西北部周縁領域の考察」は漢代の河西地域を中心とした考察三編である。廣瀬論文は、漢代の酒泉郡表是県城遺跡について考察したものである。現地研究者による遺跡比定とその変更について、多くの先行研究を用いて検証した上で、現地踏査結果をも踏まえ、厳しい批判を加えている。現地研究者による遺跡の比定を無批判に受け入れる危険性と、近年は交通手段の発達で比較的楽に現地踏査ができるようになった反面、それによって誰しも同様の誤謬に陥る可能性があることに警鐘を鳴らした必読の論文である。青木論文はA32遺跡を取り扱う。A32遺跡には肩水金関をはじめとする複数の機構が所在し、かつ近傍に肩水候官遺跡と考えられるA33遺跡があるため、出土簡牘もそれら複数機構のものが混在する状況で、そもそもA32に金関以外何があったのか、それぞれの業務と相互の関係についてはどうかなどを把握するのは困難であったが、本論文はその問題に正面から取り組んだ。髙村論文は、河西地域を例に、漢代北辺郡の物資供給について論じたものである。特に食糧供給について、多くを内郡に仰いでいたという理解は、地域によっては輸送コスト面から成立しない可能性があり、また史料にも継続的な河西への大規模食糧供給が実施されていた形跡がみられない点を指摘した。これは、両漢交替期の竇融河西五郡政権や漢帝国滅亡後の五涼王国の存立基盤を考える際にも考慮すべき問題であろう。
第三部「周縁の地域社会とその構成員」は、周縁地域の社会とその構成員に対する考察を行なった三編からなる。鈴木論文は漢代河西の開発・防衛に徴発された多数の戍卒・田卒らに注目したものである。彼らの多くは内郡から家族と離れて徴発されていくこととなるが、各年齢層ならではの特質があるため、徴発された年齢によって、本人や内郡の家族に年齢層による影響の差が生ずることにもなる。そうした視点から、彼らの年齢や爵位を検討したものである。飯田論文は両漢交替期に巴蜀に割拠した公孫述政権について論ずる。これまで、公孫述が地方官であったという経歴が注目され、竇融などの政権と同列に扱われる傾向もあったが、本論文では西南部周縁領域であった巴蜀地域の特性を踏まえつつ、地域に存在する自立勢力との関係や、郡機構が政権の維持に果たした役割の面から、公孫述政権の特質を追求した。鷲尾論文は、漢帝国の崩壊後、長江中下流域に成立した三国呉の統治下にあった時期の、長沙地域の家族と女性を対象とした論考である。三国期長沙における家族と女性の状況を検討し、中原士大夫層のそれと比較しつつ、後漢期以降、周縁たる長沙へ流入し続けた人々の流れを踏まえた議論は、周縁が周縁それ自体で完結するブロックではありえないことを確認していくことにもつながるものといえる。
これらの論考の収載に際しては、本書掲載原稿執筆者間の討論を経て修正した原稿を、外部の研究者の方に査読いただき、独善的にならぬようさらなる推敲を加えることで、学術的意義を高めるべく努力してきたつもりである。ご多用の折、査読に快くご協力いただいた研究者の方々には、この場を借りて篤く御礼申し上げる。
なお、本来であれば遺跡踏査結果も併せて掲載したいところであるが、遺跡踏査報告が当初の予想をはるかに超える分量となり、また幸いにも日本学術振興会科学研究費補助金などを得て、しばらく遺跡踏査も継続できることとなったため、それはそれで別の一書を用意することとし、現在全面的に改稿の上、製作中である。漢帝国周縁領域の遺跡踏査記録として、意義あるものになると考えている。
末尾になるが、公益財団法人三菱財団人文科学助成に採択されなければ、こうした研究もなし得ず、また次の研究計画へとつなげていくこともかなわなかった。思い返せば採択された二〇一一年は、東日本大震災が発生するという大変な時期であったが、それにも関わらず人文科学研究にかくも多大な理解を示して下さった三菱財団関係各位、また、日本学術振興会をはじめ、各執筆者の研究活動の支えとなった各種団体の関係各位に、深甚なる謝意を表明したい。本論文集が、そうした方々のご厚意に少しでも報いる内容となっていれば、執筆者一同の幸福である。
『周縁領域からみた秦漢帝国』執筆者代表・髙村武幸
目 次
前言
第一部 秦の周縁領域
戦国秦の国境を越えた人びと
―岳麓秦簡『為獄等状』の「邦亡」と「帰義」を中心に―…渡邉英幸 3
秦代県下の「廟」
―里耶秦簡と岳麓書院蔵秦簡「秦律令」にみえる諸廟の考察―…目黒杏子 25
第二部 漢代西北部周縁領域の考察
漢代酒泉郡表是県城を探して―草溝井城調査記―…廣瀬薫雄 45
漢代肩水地区A32所在機関とその業務関係
―肩水金関と肩水東部を中心に―…青木俊介 65
前漢後半期以降の河西地域に対する物資供給
―漢代辺郡の存在意義を考える手がかりとして―…高村武幸 113
第三部 周縁の地域社会とその構成員
漢代フロンティア形成者のプロフィール
―居延漢簡・肩水金関漢簡にみる卒の年齢に着目して―…鈴木直美 137
公孫述政権の興亡―両漢交替期地域政権の一事例―…飯田祥子 173
終の棲家―女性の帰属に関する試論―…鷲尾祐子 197
後 記…225
執筆者一覧(執筆順)
渡邉英幸(WATANABE Hideyuki)愛知教育大学教育学部准教授
目黒杏子(MEGURO Kyoko)京都大学人文科学研究所特定助教
廣瀬薫雄(HIROSE Kunio)復旦大学出土文献与古文字研究中心副研究員
青木俊介(AOKI Shunsuke)学習院大学国際研究教育機構PD共同研究員
高村武幸(TAKAMURA Takeyuki)明治大学文学部准教授
鈴木直美(SUZUKI Naomi) 明治大学文学部兼任講師
飯田祥子(IIDA Sachiko) 龍谷大学文学部特任講師
鷲尾祐子(WASHIO Yuko) 立命館大学政策科学部非常勤講師
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