- 2021年4月23日 星期五 年月
- 本文發布時間:2018年05月30日15时52分17秒 瀏覽次數:4945
- 《多民族社会の軍事統治―出土史料が語る中国古代》出版
- 京都大學人文科學研究所准教授宮宅潔先生主編的《多民族社会の軍事統治―出土史料が語る中国古代》2018年4月2日由京都大學學術出版會出版。該書定價4800日元。承宮宅潔先生慨允,茲將該書書影、目次、前言、後記揭載于次。
書影
目 次
はじめに──共同研究の経緯と問題の所在1
Ⅰ 研究動向篇
第1 章 中国古代軍事史研究の現状[宮宅潔]
はじめに11
1●欧米における中国軍事研究──三つの,Introduction6から12
2●中国における軍事史研究19
3●日本における中国軍事史研究──秦漢時代23
4●「軍事」への注視と史料の洗い直し27
第2 章 「闘争集団」と「普遍的軍事秩序」のあいだ──親衛軍研究の可能性[丸橋充拓]
はじめに31
1●親衛軍研究の近況と展望32
2●親衛軍の二面性34
3●隋唐軍制理解への波及38
おわりに42
Ⅱ 論考篇
第1 部 「中華」の拡大と軍事制度:占領支配の諸相
第3章 征服から占領統治へ──里耶秦簡に見える穀物支給と駐屯軍[宮宅潔]
はじめに51
1●穀物支給簡の分析52
(1)穀物支給簡の形状と書式52
(2)記載内容の分析55
(3)穀物支給の実態67
2●戍卒への穀物支給68
(1)兵種と支給方法の関係69
(2)穀物の貸与とその償還71
(3)食糧自弁の原則とその限界75
おわりに78
第4 章 秦代遷陵県の「庫」に関する初歩的考察[陳偉]
1●職掌88
2●吏員96
3●徒隷103
4●関連問題106
第5章 漢代西北辺境防備軍の社会構造
──出土史料の分析に基づく方法論的考察[エノ・ギーレ]
はじめに──典籍史料から111
1●研究上の課題と関連する問題114
2●理論上の土台と軍事制度116
3●徴兵の仕組み119
4●研究状況123
5●肩水金関漢簡から得られる情報と方法論上の問題点130
第6章 漢代長城警備体制の変容[鷹取祐司]
はじめに139
1●戍卒出身地の変化141
(1) 戍卒の出身地記載があり年代が確定できる簡の集成141
(2) 肩水金関址出土戍卒簡の時期分布142
2●成帝中期以降における戍卒の出身地変化の背景148
(1)「住─歳─更」制の動揺148
(2)「庸」の拡大とその問題化155
3●居延における長城警備体制の変容159
(1) 居延地域の戍卒総数160
(2) 吏卒家属の烽燧同居161
(3) 戍卒の「庸」化と家属同居168
(4) 騎士の烽燧勤務170
おわりに179
第2 部 軍事制度よりみた古代帝国の構造
第7章 秦漢「内史─諸郡」武官変遷考
──軍事体制より日常行政体制への転換を背景として[孫聞博]
はじめに191
1●秦及び漢初における「内史─諸郡」の武官の対等構造192
2●武帝以降における地方武官の「辺地化」の趨勢202
3●後漢の軍事組織の「辺地化」と地方の屯兵208
第8章 漢代における周辺民族と軍事
──とくに属国都尉と異民族統御官を中心に[佐藤達郎]
はじめに215
1●漢代における周辺民族の軍事動員とその歴史的影響216
2●漢代における周辺民族の管理218
(1) 属国都尉218
(2)「異民族統御官」220
3●属国都尉下の諸民族管理と軍事動員221
(1) 属国下の諸民族管理221
(2) 軍事動員225
(3)軍役以外の諸雑役への使役229
4●「異民族統御官」下の周辺民族管理と軍事動員:特に烏桓校尉,護羌校
尉の場合229
(1) 烏桓校尉230
①烏桓族などの管理230
②烏桓族などの軍事動員232
(2)護羌校尉235
①羌族などの管理235
②羌族などの軍事動員238
5●「帰義蛮夷」をめぐって241
第9 章 漢帝国の辺境支配と部都尉[金秉駿]
はじめに343
1●部都尉は異民族を主管する特殊機構か345
2●部都尉は郡県に比べて緩やかな政策を展開したか347
3●部都尉は郡都尉とは別の特殊組織か349
4●部都尉は異民族の民事を統御する「治民機関」か351
おわりに355
第3 部 「中華」の転換と再編:多民族社会における軍事と支配
第10 章 前秦政権における「民族」と軍事[藤井律之]
はじめに359
1●前秦の兵力359
(1)前秦史概観359
(2)兵力動員数の推移360
(3)動員兵数増加の要因364
2●石刻史料にみえる「民族」と軍事368
(1) 鄧太尉祠碑と広武将軍□産碑368
(2)「雑戸」と軍事372
(3) 前秦梁阿広墓誌376
3●氐戸の分徙378
おわりに384
第11 章 北魏道武帝の「部族解散」と高車部族に対する羈縻支配[佐川英治]
はじめに389
1●高車伝「得別為部落」条の検討391
2●道武帝と高車諸部族395
3●柔然の勃興400
4●護高車中郎将と附国高車404
おわりに408
第12 章 唐前半期における羈縻州・蕃兵・軍制に関する覚書
──営州を事例として[森部豊]
はじめに411
1●唐代営州の沿革412
2●営州管内の羈縻州と軍府415
3●初唐期の行軍と契丹系軍府421
おわりに424
第13 章 唐代高句麗・百済系蕃将の待遇及び生存戦略[李基天]
1●問題の所在427
2●唐前期における蕃将中の諸衛将軍の任命傾向430
3●高句麗・百済系蕃将の入仕類型441
4●高句麗・百済系蕃将の武官号及び唐朝の待遇446
5●蕃将の勢力基盤459
6●結びに代えて──唐朝の蕃将に対する認識及び蕃将の生存戦略467
後記481
索引
はじめに──共同研究の経緯と問題の所在
宮宅潔
本書は平成25〜29 年度に行った国際共同研究「中国古代の軍事と民族──多民族社会の軍事統治──」(科学研究費補助金(基盤研究B),代表者:宮宅潔,課題番号:25284133)の研究成果をまとめた論文集である。
この共同研究に先立って,平成20〜24 年度には「中国古代軍事制度の総合的研究」(同,課題番号:20320109)という研究プロジェクトを実施した。このプロジェクトでは,日本・中国・韓国,そして欧米における中国軍事史研究の現状を分析し,従来の研究成果・研究手法に含まれる問題点・偏向性を意識しながら,そのうえで軍事制度研究の新たな地平を模索することが目指された。近年,特に欧米の中国史研究者のあいだでは,政治・社会・経済・文化・思想といった分野と比べて,軍事に関する研究が相対的に手薄であったとの反省から,軍事史研究の見直しが進められている1)。こうした研究動向に触発され,始められたのがこの共同研究であった。
確かに,欧米と比べるなら,わが国には中国軍事史研究の少なからぬ蓄積がある。とはいえ第二次大戦後,歴史学の分野では戦争に直接関わる研究がなかばタブー視され,軍事史に正面から取り組んだ研究が必ずしも多くはなかった2)。軍事と関連する研究としては,たとえば徴兵制度や,将軍号をはじめとした軍号の分析などが研究者の関心を集めてきたが,それらはあくまで徭役制度・官僚制度研究の一環として進められた。その他の諸制度をめぐっても,それが実は深いところで軍事制度に結びついていることが等閑視される傾向にあり,これもまた,戦後の歴史学界を取り巻く雰囲気と無縁ではなかったように思われる。かかる現状認識のもと,前プロジェクトでは軍事を添え物のように扱うのではなく,むしろそこに軸足を据えて諸制度を捉え直すことを試みた。こうして得られた研究成果は,『中国古代軍事制度の総合的研究』(科研費報告書,2013)に収められている。
この成果を継承し,如上の問題意識をさらに深めつつ,さらに新しい視点をとりこんで始められたのが今回の共同研究である。新たな立脚点に据えられたのは,軍事と民族問題の相関関係であり,その目指すところはいわば「軍事問題としての民族」であり,「民族問題としての軍事」であった。
地球上の,ほとんどすべての紛争が民族紛争となりつつある現在,軍事行動が時として民族と民族のぶつかりあいであること,あるいは軍事行動が民族の移動・混交を促し,さらに反発をも醸成することは,敢えて指摘するまでもない。だが中国古代史,とりわけ秦漢史研究の分野では,こうした視点がやや欠落していた。もちろん例外はあるものの,魏晋南北朝以降の歴史を考える際,軍事と民族の問題が非常に重要な視点となっているのに比べると,秦漢軍事史研究における「民族問題」の掘り下げは,なおも不足していると言わざるを得ない。
その一因として,まずは史料の不足が挙げられる。戦国・秦漢期の典籍史料のなかには,軍隊の構成や戦闘の経過,さらには新占領地の統治策について,包括的に詳細を述べた記事がほとんど見られない。かかる史料不足により,この時期の軍事史研究は,利用可能な史料が存在する特定の分野にその関心を集中させてきた。
だが問題は史料の不足のみに止まらない。そもそも従来の戦国・秦漢史研究では,地域間の文化的差異には一定の注意が払われつつも,各地の住民はいずれも「華夏」であり「漢民族」であり,その間に「民族」的な相違はないと見なされてきた。このこともまた,軍事と民族の相関関係への注目が,相対的に希薄だった一因であろう。
いわゆる「漢民族」がいつ,いかにして形成されたのかをめぐっては,研究者の間にもさまざまな意見がある。だがその形成史において,秦漢時代が重要な画期であったことには,ほぼ異論の余地がないだろう。たとえば王明珂は,戦国から漢代に至る時期に一つの民族呼称(「華夏」)が共有されるようになり,周辺他民族(「夷戎蛮狄」)との境界が設けられ,共通の先祖(黄帝)も創造されたので,この頃に「漢民族」は,すでに一つの民族(「族群3)」,ethnic group)を形成していたといってよい,と述べている[王明珂2013,序論16 頁]。筆者としても,こうした指摘自体に異を唱えるつもりはない。
ただし,「民族意識ethnic group identity」は固定的,絶対的なものではない。民族意識が新たに創始されたり,消滅したりする場合もあり,「民族」という枠組みは多分に流動的なものである。また,一人の人間が複数の異なる民族意識を持つこともある。たとえば,ある人物は「アメリカ人」であると同時に「欧州系アメリカ人」であり,「イタリア系」であり,さらには「シチリア系」でもあり,これらのアイデンティティを社会的なコンテキストに応じて選択し,使い分ける。民族意識がこうした「階層的な入れ子構造hierarchical nesting」[Peoples &Bailey 2015,367 頁]を備えていることも,忘れてはなるまい4)。
秦漢時代には,自らは「華夏」に属しているという共通認識がすでに多くの人々の間に存在していたのかもしれない。だが一方で,戦国時代以来の「楚人」「斉人」といった自意識も,まだ根強く生き残っていたに違いない。たとえ戦国時代の諸侯国は消滅してしまっても,むしろその敗北の記憶が,かかる自意識を持続させる凝集力となっていたのではあるまいか。楚が滅亡した後も,「楚の敗軍の将である項燕は,まだ生きている」との流言が広く共有されていたというエピソード(『史記』陳渉世家)などが,そのことを示唆していよう。あるいは,高村武幸が指摘するとおり[高村2008,405 頁],漢帝国東半の人間がもっぱら西北辺境の防備兵とされた現象5)が「被支配地域の兵は信頼できず,補助戦力にしかならない」という意識に基づいていたのだとすれば,楚漢抗争時の勝利と敗北の記憶は,100 年以上後になっても消えていなかったことになる。漢帝国支配下の人々は,法律上はいずれも「漢人」であり,そうした自己認識も共有されていたのかもしれないが,それはあくまで,入れ子構造の最外辺に過ぎなかった。
さらに帝国の周辺には,漢人とは明らかに生業(農耕/牧畜)や社会制度(君主を戴くか否か)を異にする人間集団,「蛮夷」が暮らしていた。やがて帝国の領土が拡大するにつれ,それらの集団は領内に取り込まれ,さまざまなやり方で統治されるようになった。たとえば遊牧地帯を占領した場合は,そこに防壁が建造され,蛮夷との間に一線が画されたが,集団で投降した者たちがかつての社会構造・統属関係を維持したまま,辺境地帯で暮らすこともあった。一方,農業を生業とし,土着の王が存在していた中国東南・西南,あるいは朝鮮半島北部といった地域では,まずはその君主を服属させ,間接的な支配が試みられ,しかる後,往々にして武力による直轄化が断行され,当該地域は郡県支配の下におかれた。
これらの蛮夷は,あくまで中国の側で書かれた史料に残る情報であるとはいえ,独自の文化的伝統や開祖神話を持っていたとされる。こうした,明らかに異質の民族意識をもった人間集団の存在は,実際には文化・習俗を異にするさまざまな「漢民族」の者たちに,共通の帰属意識を植え付ける上で重要な役割を果たしたに違いない。さらに,帝国の領域に取り込まれた蛮夷のなかには,本来の開祖神話を忘却し,黄帝の子孫を名乗って「漢民族」に同化する者たちも現れた[王明珂2013,235 頁]。
このように,境界線の濃淡,あるいは境界の目安(boundary
marker)は時代とともに変化したにせよ,漢帝国の統治下にも多様な帰属意識を持つ人間集団が暮らしていた。これらの集団をすべて「民族」「族群」などと呼ぶのは適切ではあるまいが,いずれも血縁関係を超えた規模の,文化的伝統や歴史を共有すると自認する(あるいは見なされる),複数の社会階層から成る人間集団であるという点では共通しよう。漢代の社会は,かかる人間集団から構成される多元的な世界であった。
やがて魏晋南北朝時代になると,五胡と呼ばれる遊牧集団がかつての漢の領域で勢力を伸ばし,華北では彼らが政権の中核を担う国々が建てられる。彼らは「漢化」を進め,漢民族との融合を図りはするものの,自らの歴史の記憶を保持し,独特の姓を名乗り,完全には同化しなかった。一方で,蛮夷との対峙,敗北,大規模な人口移動を経て,「漢民族」の凝集力はさらに強固なものとなってきた。ここに至って,社会の多民族性は自明のものとなる。当該時代の研究者が軍事と民族の問題により強い関心を払うのも,当然のことであろう。
だが,状況が秦漢時代のそれと本質的に異なるわけではない。戦争や紛争を契機にしてさまざまなルーツを持つ者たちが混交し,その勝敗により特定の帰属意識を強めることもあれば,他の集団に吸収されて自らのアイデンティティを失うこともあった。そうした社会を支配する上で軍事力が重要な役割を果たしたことは言を俟たないが,一方で軍事力の編成方法や戦略の指針は,多様な社会のありようによって規定されるものであった。このような「軍事と民族の相関関係」を,秦漢時代から隋唐時代までに時間軸を据えて分析するのが,本プロジェクトの目指したところである。
とはいえ,関連する諸問題をすべて網羅し,全体を俯瞰することは難しく,今回の共同研究においては,特に次の二つの問題に焦点を絞り,各メンバーが関連する課題に取り組んだ。すなわち①占領支配の諸相と,②軍事制度よりみた古代帝国の構造,である。本書に収められた諸論考がこの二点とどのように関わるのか,簡単に紹介しておこう。
①
占領支配の諸相
まずは,占領統治の具体像を探る研究。帝国が新たな領土を獲得した時,異なる帰属意識を持つ人間集団が,そこにどのようなかたちで居住しており,占領者はそれにいかなる態度で臨んだのかを分析する。秦漢時代の占領支配について分析の材料となったのは二つの新出史料群,すなわち里耶秦簡と肩水金関漢簡で,前者からは秦による南方占領地の,後者からは漢の西北辺境地帯での統治のあり様を見て取ることができる。
秦が里耶地域を占領した時,そこには土着民,戦国楚の時期の移民など,さまざまなルーツを持つ人間が暮らしており,占領後にも人口の流入は続く。秦は辺境の小県に見合わぬ規模の官吏・兵士・刑徒をここに送りこみ,拠点の維持を試みるが,その支配に服したのは居民のごく一部であった[宮宅2016]。本書所収の陳論文(第4章)は,この地での武器管理を仔細に検討し,当地には一時大量の兵器が保管されていたものの,やがて中央に回収され,現地での武器生産は行われていなかったことなどを述べる。また宮宅論文(第3章)は里耶地域の官吏や兵士を支えるための兵站制度を分析し,自弁を原則とする方法からの脱皮が進んでいなかったことを指摘する。
一方,肩水金関簡を用いて,前漢武帝期以降の西北防備軍を分析したのがギーレ(第5 章)・鷹取(第6 章)論文である。また金(第9 章)・佐藤(第8 章)論文も,分析対象を必ずしも西北辺境のみに限定しないものの,王朝が占領地の,あるいはその周辺に暮らす異民族といかに対峙したのかを問題とするなかで,この史料群を活用している。
ギーレ・鷹取論文はいずれも,西北辺境の防備軍に勤務する者の多くが遙か遠方の中国東部から来たことに着目している。この現象自体はかねてより知られていたが,鷹取論文は木簡が出土した各区画の年代を出土木簡の紀年から推定し,そのうえで兵士の出身地が分かる史料を時代別に整理し,東方出身の戍卒がやがて地元出身者に切り替えられること,同時に服役期間が長期化する傾向にあること等を指摘する。これは,戍卒制度についての従来の理解をくつがえす重要な提言である。その視線の先には,後漢時代における普遍的な徴兵制度の廃止や,異民族兵の積極的な活用へと繋がる道筋が見えてこよう。とはいえ,辺境出土簡の年代比定や,その統計学的分析にさまざまな注意点があることは,ギーレ論文が述べるとおりである。鷹取論文が示した仮説は,ギーレ論文が列挙する方法論上の課題を念頭において,さらに検証・吟味される必要があろう。
漢代からさらに時代が降ると,占領支配の主体はむしろ異民族の側となる。また占領統治の目指すところも,被支配民を管理・制御することから,むしろ活用することにその主眼を移していく。前秦政権が,自らの出身母体である氐の部衆を活用する軍事体制から脱却し,一般編戸の動員に重点を移していったことを指摘する藤井論文(第10 章)や,北魏の部落解散において,高車部族だけが特に「別に部落を為す」ことを認められた背景とその意義を解明する佐川論文(第11章),さらには唐代の営州に焦点をすえ,遠征軍への蕃兵動員の具体相を探る森部論文(第12 章)が,本書においてこうした問題を取り扱うものとなる。
②
軍事制度よりみた古代帝国の構造
さまざまな民族から構成される古代帝国,さらには東アジア世界全体の構造を,軍事制度や軍政組織に注目して分析しようとする研究。たとえば孫論文(第7 章)は,秦から漢初にかけての時代には中央と地方の軍事組織の間に大きな違いがなかったものの,次第に辺郡以外の地方軍事組織が縮小されていることに着目し,そこに「日常行政体制」への移行の動きを見て取る。また丸橋論文(第2章)は親衛軍の多民族性を分析することにより,国家秩序の特性や,戦闘集団内の秩序をより普遍的な秩序へと切り替えていく道筋を読み解こうとする。そこでは,多様な民族を内包する社会に中国王朝の占領支配が与えた影響よりも,むしろ社会の多民族性が王朝支配のあり方に与えた影響の方が検討の俎上に載せられる。
これに対し,佐藤(第8章)・金(第9章)論文は辺境の軍政組織に焦点をすえ,多民族の混交する地域を王朝が如何にして統治したのかを分析し,その背景にある辺境社会の様相に迫ろうとする。佐藤論文は漢代の北部・西北辺境の,異民族を統制する組織に注目し,その柔軟性を指摘するとともに,漢王朝との結びつきが諸族における部族再編や族長の権限強化をもたらしたことを主張する。金論文は西南夷や朝鮮半島北部をも視野に収めつつ,分析の対象とする組織は部都尉に限定し,それがあくまで軍政組織であり,異民族を管理する行政機関ではなかったことを強調する。部都尉は帝国全土に置かれた統治機構の一部にすぎず,異民族統治のために置かれたわけではないとし,あくまで郡県制の原則を重視する金論文と,各地の実情に応じた柔軟な制度運用を想定する佐藤論文との間には,いささか立場を異にする部分もある。今後いっそう議論を深める必要があろう。
また両論文では周辺異民族相互の関係も検討の視野に収められる。こうした視点は佐川論文の,既存の社会組織は残しつつも皇帝の直接支配に服した他部族と異なり,高車部族だけが例外的に「附国」として自立性を保持できていたとし,その背景に北魏の柔然に対する戦略を認める指摘や,投降した蛮将への処遇を遊牧系と百済・高麗系とで比較する李論文(第13 章)とも共通するものである。
述べてきたように,本書所収の論考は必ずしも,①②の問題のいずれかに特化したものではなく,両者にまたがる内容を持っている。そこで,諸論文をまず秦漢時期を扱ったものと魏晋以降とに分け,前者をさらに,特定地域の占領支配に着目した論考と,より俯瞰的な視点をもった考察とに区分し,それぞれを第1〜第3部とした。また,これらの論考篇とは別に研究動向篇を設け,そこに丸橋論文を収めるとともに,前科研の報告書[宮宅2013]に掲載した宮宅展望を加筆・改訂のうえで再録した。これらの,5 年間にわたった共同研究の成果が,何らかのかたちで学界に貢献しうるならば,編者としてこれにすぐる喜びはない。
【引用文献表】
阪口修平2010 『歴史と軍隊軍事史の新しい地平』創元社
宮宅潔2013 『中国古代軍事制度の総合的研究』科研報告書
宮宅潔2016 「秦代遷陵県志初稿──里耶秦簡より見た秦の占領支配と駐屯
軍」,『東洋史研究』75-1
渡邉英幸2010 『古代〈中華〉観念の形成』岩波書店
王明珂2013 『華夏辺縁歴史記憶与族群認同』(増訂本)浙江人民出版社
Peoples, James
& Bailey, Garrick 2015 Humanity: An Introduction to Cultural
Anthropology,
Tenth edition, Stanford: Cengage Learning.
【注】
1) 本書第1 章を参照のこと。
2) ヨーロッパの軍事史研究における同様の傾向については[阪口2010]を参照。
3) 近年,漢語圏では「民族」という用語よりも,nation の訳語として「国族」が,ethnic groupの訳語として「族群」が用いられる。
4) 春秋時代,形成途上の「中華」概念が帯びていた重層的な構造については,[渡邉2010]を参照。
5) 本書第5 章(ギーレ)・第6章(鷹取)も参照のこと。
後 記
「はじめに」で述べたとおり,本書は平成25〜29 年度に行った共同研究の成果報告書である。プロジェクトのメンバーは次のとおり。
宮宅 潔(研究代表者,京都大学人文科学研究所)
佐藤達郎(研究分担者,関西学院大学文学部)
佐川英治(同,東京大学人文社会系研究科)
丸橋充拓(同,島根大学法文学部)
鷹取祐司(連携研究者,立命館大学文学部)
藤井律之(同,京都大学人文科学研究所)
この5 年の間,京都大学・島根大学で繰り返しメンバーの研究発表を行い,討議を重ねてきた。編者はこのプロジェクトの研究代表者ではあったものの,こと「民族」の問題についてはしっかり勉強したことがなく,手探りで歩き出したというのが正直なところだったが,メンバーの発表を通じてさまざまなことを学び,なんとか報告書の刊行に漕ぎ着けることができた。本プロジェクトの根幹を支えてくださった共同研究者・連携研究者の方々に,まずは心より感謝したい。
研究発表と平行して,「民族」の問題に焦点をすえて研究しておられる方をお招きし,講演をしていただいた。秦漢史については渡邉英幸さん(愛知教育大学)に「秦・漢王朝による他国民編入と異民族統治」,隋唐史では森部豊さん(関西大学)に「8〜10 世紀の中国諸王朝におけるソグド武人の系譜と活動」という題目でお話いただいた。さらに森部さんからは,本書に論文を頂戴することもできた。お二人にも深く御礼申し上げる。
また本プロジェクトには,次の3 名の方が海外共同研究者として参加された。
陳 偉(中国 武漢大学)
金秉駿(韓国 ソウル大学)
エノ・ギーレ(Enno Giele)(ドイツ ハイデルベルク大学)
お三方とも積極的にプロジェクトの遂行に関わってくださり,いずれも来日して史料の会読や研究発表に参加された。とりわけ金秉駿さんは,2015 年1〜7 月に客員教授として京大・人文研に滞在され,その間に継続して会読と研究発表とに加わった。さらには金さんの協力を得て,2015 年9 月9〜10 日にソウル大学で国際シンポジウム「中国古代における多民族社会の軍事統治Military Control on Multi-ethnic Society in Early C hina」を開催することができた。シンポジウムには上記のお三方が報告者として参加してくださったほか,孫聞博(中国人民大学)・李基天(ソウル大学)のお二人にも発表していただき,またコメンテーターとして韓国の研究者の方々,尹在碩(慶北大学)・金珍佑(高麗大学)・金慶浩(成均館大学)・林炳徳(忠北大学)・趙晟佑(ソウル大学)・崔宰栄(翰林大学)の各位にご参会いただいた。すべての参加者,ならびに会議の運営を支えてくださったソウル大学のみなさんに,改めて御礼申し上げたい。
本書はこれらの研究活動による成果を収めたものであるが,次の2篇の論文は他の研究助成による成果の一部でもあることを,最後に附記しておく。
第7章:中国・国家社科基金重大項目(項目批准号:14ZDB028)
第12章:日本学術振興会・科学研究費補助金(JP16K03100)
研究成果をとりまとめ,本書を編集・印刷するにあたっては,京都大学学術出版会の國方栄二さんにご助力いただき,さまざまな意見を頂戴した。末筆ながら深く感謝申し上げる。
2018 年1月5日
宮宅潔
寄稿者・翻訳者一覧(執筆順)
宮宅 潔 京都大学人文科学研究所准教授
丸橋充拓 島根大学法文学部教授
陳 偉 中国・武漢大学歴史学院教授
野口 優 中国・中山大学歴史学系副教授
エノ・ギーレ ドイツ・ハイデルベルク大学中国学研究所教授
鷹取祐司 立命館大学文学部教授
孫 聞博 中国・中国人民大学国学院講師
佐藤達郎 関西学院大学文学部教授
金 秉駿 韓国・ソウル大学人文学部東洋史学科教授
金 玄耿 京都大学大学院文学研究科博士後期課程
藤井律之 京都大学人文科学研究所助教
佐川英治 東京大学大学院人文社会系研究科准教授
森部 豊 関西大学文学部教授
李 基天 韓国・ソウル大学人文学部東洋史学科講師
- 地址: 中國武漢珞珈山 武漢大學簡帛研究中心(振華樓歷史學院內) 郵編:430072 電話:027-68753911 郵箱:postmaster@bsm.org.cn
- 版權聲明:Copyright 2005-2019 武漢大學簡帛研究中心版權所有 本站內容未經授權禁止複製或者建立鏡像